ツイッターを見てたら対戦ゲームの操作をもっと簡単・単純にするべきかどうかみたいな話題があったので少し考えてみることにする。
1.ゲームの楽しみ
ゲームは概ね何か目標があって、それを達成することやその達成方法を楽しむものがほとんどだと感じます。
ノベルゲーム:物語を最後まで読む
RPG:ラスボスを倒す、レベルを上げる、アイテムを集める
対戦ゲーム:相手に勝つ、自分自身が強くなる
達成すること自体がゲームの楽しさならば操作は簡単・単純であるべきです。ノベルゲームで会話を読むために難しい操作や技術が必要にするのは受け入れられないでしょう(叙述トリックを見破るなどの文章を読む技術は別ですが)。
対戦ゲームならどうかという話になりますが、競技性があるかどうかで分かれます。パーティゲームなら誰でも勝ち目があるように操作や技術は簡単でいいと思います。格闘ゲームなど競技性が高いゲームは勝ち負け以外に、練習した成果を出すことや練習自体を楽しむという側面があります。操作が難しくしたほうが他人と差がつきやすくなるので自分の成長が実感しやすく、競技性を高めやすいです。ただ必ずしも操作を難しくしなくても競技性は高められると思います。
2.競技性
例えば昔からあるゲームとして囲碁・将棋・チェスがありますね。これらのゲームは多くの人が競技性があると感じられるのではないでしょうか。そしてこれらのゲームの操作が難しいと感じる人はいないと思います。碁石や駒を持って盤面に置くだけです。それでもゲームとして競技性が生まれる理由は最適解が分かりにくいからです。お互いがどうすればいいのか悩む状態で、自分の考える最適解をぶつけ合うところにゲームとしての面白さがあると思います。
一方、最適解が誰でも分かるゲームもあります。音ゲーは分かりやすいゲームではないでしょうか。譜面に合わせてタイミングよくボタンを押すだけです(実際は手の配置など考えることがありますが)。ただし操作が難しくて最適解にたどり着かないのでゲームとして成立するのです。シンプルなスポーツも似た理由で競技としてなりたっているものが多いですね。
最適解を分かりにくくするか、最適解を実行するのを難しくするか、この2つの要素をどうするかをゲーム制作者は考えてつくる必要があります。最適解を実行するのを難しくする=操作を難しくする、という考えになるでしょう。
3.まとめ
- 何を楽しんでもらうかによってゲームを難しくするかは決まる
- 対戦ゲームで競技性を高めるならゲームは難しくなる
- ゲームの難しさには最適解を見つけることと実行することの2種類がある
- 最適解の実行を難しくしたいのであれば、操作を難しくする
結局は製作者がどんなゲームを作りたいかで操作の難しさは決められるべきだと思います。操作が難しいから駄目とか、簡単だから駄目とかではなく、難しく(簡単に)した結果面白くなったかどうか、という点を見てゲームや製作者を評価するべきではないでしょうか。