常識という言葉について少し悩んでいましたので、徒然なるままに書いていきます。
「常識がない」と相手を批判することがありますが、それは本当に常識なのでしょうか。
常識というのはそんなに多くないのではないか、自分が常識だと思っていることは常識ではないのではないかという気分になっています。
常識とは「当たり前のことだと思い込んでいること」と考えた方がすっきりします。
(既に常識という単語が出すぎていて変な感じがする)
常識はみんなが知っている当たり前のこと、もしくは共通した考え方というような使われ方をしているように思います。
いったん辞書を引いて意味を調べてみましょう。
- 一般人の持つ考え。普通の見解。
- 社会人として当然持っている、持っているべきだとされる知識・判断力。
- 哲学で、人類全体に共通する能力で真理、道徳をとらえる直覚をさす。常識学派(スコットランド学派)で真理の最終根拠とした。
出典 精選版 日本国語大辞典
https://kotobank.jp/word/%E5%B8%B8%E8%AD%98-79273
これを見る限りでは、1と2の意味で使われていますね。
2の持っているべきかどうかは、多くの人が持っているかどうかで判断されそうです。
ただ社会人としてではなく、所属する業界・グループの関係者として当然持っている、持っているべきだとされる知識・判断力のことを指す場合が多そうです。
さて、社会が高度化・複雑化していくにつれて仕事も専門化していっています。
また変化はどんどん早くなり、趣味や生き方も多様性を増しています。
こういった環境で常識は変わらないでいられるでしょうか。
特に世代が違うと常識というのはどんどん減っていくのではないでしょうか。
上司が細かい指示をせずに部下に仕事を依頼しところ期待していたのとは全く異なることをした、というのはよくある話ですが常識の変化が原因の一つかもしれません。
先日ハガキ用の切手を1000円分買ってきて指示したら部下は1000円切手を1枚買ってきた、という話をツイッターで見ました。
本当かどうかはともかく、似たようなことはあり得そうです。
上司の年代(グループ)ではハガキを使ったことがあり関連する知識・経験を持っているのが当然、少なくとも上司はそう思っているのでしょう。
一方で部下が新卒だとするとハガキを人生の中で一度も使わなかった可能性は多いにあります。
メールやLINEなどで連絡は出来ますし、仮に年賀状を出したとしても基本的には切手は貼りません。
こうなると部下の年代ではハガキの知識は常識ではなくなります。
自分は全く知らないのに、上司がさも当たり前のように指示してきたことを分からないと伝えるのは少し勇気がいるでしょう。
その結果「常識がない」とバッサリ切られてはたまりません。
上司に対していいイメージを持たない可能性が高いです、今後(上司以外にも)質問することをためらうかもしれません。
常識は「当然持っている、持っているべきだとされる知識・判断力」ということでした。
持っているかどうかはともかく、持っているべきかどうかは立場の強い側が判断します。
責任ある立場の人は「これくらい常識だろう」と思ったら「そう思っているのは自分だけかもしれない」と少し考えたほうがいいかもしれません。
常識だと思っていることは常識ではないかもしれないと考えることが常識になる必要がある、のかもしれません。
この文章、分かるんですけど分かりにくいですね・・・
もうちょっとぼやっとした、抽象的な言い方をすれば多様性を認めて行動する必要があるのでしょう。
今度は分かりやすいですけど、よく分からないですね・・・